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赤田委員長の国文祭日記

 

 2011年3月頃、一本のお電話を頂きました。かつて小学校の校長をされ、吹奏楽や合唱の分野で秋田県の音楽文化を推進されてこられた、羽川正先生からでした。その頃は秋田市内にある私立幼稚園の園長としてお仕事をされていたため、ご一緒する機会も多く、また「秋田オルガンかわら版の会」の会員としてコンサートにご協力いただいたこともありました。お電話は「2014年に国民文化祭というものがあるがよろしく・・・」というものでした。当時の私は「国民文化祭・・・って何?」という状態でしたが、先生は国民文化祭の立ち上げを担う委員のひとりとしてお電話をくださったのでした。
  羽川先生はご自身がご病気であることを知りつつ、秋田のオルガン文化形成のために、文字通り「命をかけて」ご尽力くださいました。2013年9月、ピアノ・フェスティバルと合同で開催したプレ・コンサートの直前に先生はお亡くなりになりました。
  自分が目にし、耳にすることができない舞台のために、お働き下さっていたのです。文化の形成というものは、自分が死んだ後の時代や世代のために働く人々によってなされることを心より実感しています。今年開催される国民文化祭オルガン・フェスティバルも、次の世代の人々の文化形成をなすものでありたいと思います。

 

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